東日本大震災被災地の現状
第71回 ―まち・住まい・コミュニティ― / ついの住処、仮の住まい。 / どの被災者にも地域で安心して生活できる環境を。 / 福島県南相馬市社会福祉協議会
「様子を伺いに訪問したら、“10日ぶりに人と喋った”という方がいました」。 黒木洋子さん(南相馬市社会福祉協議会生活支援相談室長)は、孤立しがちな被災者の現状について、そう語ります。 「南相馬市内 […]
第70回 ―まち・住まい・コミュニティ― / 「多様なチャンネルを活用して、居場所を見つけられる街に」 / 宮城県東松島市野蒜(のびる)まちづくり協議会
野蒜駅の改札を出ると、広場の向こうに野蒜ケ丘の新しい街並みが広がっています。 津波で甚大な被害をうけた東松島市野蒜地区では、多くの世帯が近くの山林を開いて造った高台へ集団移転しました。2017年10月にはまちびらきが行な […]
第69回 ―復興を担う女性たち― / 「南三陸町の漁業者の思い、町の魅力を伝えたい」たみこの海パック
「津波を目の当たりにして、もう養殖はやれないと思った」と阿部民子さんは言います。しかし家業である漁業から離れるわけにはいきません。「だったら私は自分にできることで自分の居場所をつくろう」。そう考えて阿部さんは2012年1 […]
第68回 ―復興を担う女性たち― / 「女川スペインタイルを地域の産業・文化として根付かせたい」 / NPO法人みなとまちセラミカ工房
女川スペインタイルは、震災後に誕生した女川独自の工芸品です。きっかけは、町の復興を考える人たちの中から出た「スペインタイルを女川の新しいお土産にしよう」というアイディアでした。協力を求められたのが、震災前、女川で陶芸教室 […]
第67回 ―復興を担う女性たち― / 「希少なパステル染めを、気仙沼の人の手で育てていきたい」 / 株式会社インディゴ気仙沼
インディゴ気仙沼は、天然インド藍を使った染色サービスとオリジナル商品を制作販売する会社です。始まりは、2015年に代表の藤村さやかさんが子育てサークルの友人2人と「子連れで働ける職場を」と立ち上げた染色工房でした。「イン […]
第66回 ―復興を担う女性たち― / 「亘理町の文化から生まれた手作り雑貨。ビジネスとして長く続けていきたい」 / 株式会社 WATALIS
亘理町は町面積の約半分が浸水し、8万人が避難しました。震災から数カ月後、引地恵さんは町内でコミュニティづくりのためのワークショップを始めました。 亘理町には着物の残り布でつくった巾着袋にお米などを入れて感謝を伝える返礼の […]
第65回 ―復興を担う女性たち― / 「小さな人々にスポットを当てたい」タガの柵(き)
多賀城市は、千年前の大津波が古文書(※)に記されている町です。貞観地震によるもので「千年に一度の大津波」という表現はここから来ています。東日本大震災では工業地帯や市街地を津波が襲いました。大きな製油所火災が起き、浸水域は […]
第64回 ―復興を担う女性たち― / 「復興の目撃者になってください」ホテル・エルファロ共同事業体
「震災で両親も旅館も失った。親の死が受け入れられず事あるごとに泣いていた。家族には涙を見せないようにしていたけど、娘たちが気付いて“お母さん泣いていいんだよ”と言ってくれたんです」。その言葉で、佐 […]
第63回 「自分で選び、自分たちの手で解決する」石巻復興支援ネットワークやっぺす!
震災は、子育てのしづらさや就労の難しさに拍車をかけました。被災による心の傷がそこに加わり、回復をより難しくしました。 「自分の足で立ち上がるには、成功体験を積み、生きがいと仕事を取り戻していかなければ」と石巻復興支援ネッ […]
第62回 縁をつないでいく南三陸町の商店街
2012年に仮設商店街として営業を始め、昨年、場所を移転し本設商店街として新たなスタートを切った南三陸さんさん商店街(志津川地区)。オープンから1年5カ月目の2018年8月、来場者が100万人を突破しました。本設移転の前 […]